2015.03.30MESSAGEインパクトホールディングス株式会社
いつもありがとうございます。先日、盛和塾世界大会の体験発表の選考会がありました。残念ながら選考には漏れてしまいましたが、スピーチ原稿をメッセージとしてアップさせて頂きたいと思います。お時間あるときにご確認下さい。
弊社は店舗店頭に特化した企業様のマーケティング活動を支援する事業を営んでおります。具体的には全国約20万人のメディアクルーと呼ばれるスタッフネットワークと、現場の状況を報告するマーケットウオッチャーという独自開発したシステムを活用し、多店舗展開する企業様向けに「覆面調査」、消費財メーカー様向けには、「ラウンダー」「推奨販売」といったサービスを提供しております。
「覆面調査」とは、弊社がトレーニングをしたスタッフがお客様の振りをして店舗へ出向き、接客や清掃の状況を細かくチェックをして点数をつけるなどして報告し、改善のための研修等々を提供します。最終的には各店舗の顧客満足度を上げて、売上向上を図るという仕組みです。「ラウンダー」とは、メーカーの営業マンに代わって全国の店舗に特化した営業代行を行うサービスです。自社の商品を目立つ陳列に変え、キャンペーンの展開効果を最大限にするものです。「推奨販売」とは、俗に「マネキン」とも呼びますが、店頭で試飲試食等を実施するためのスタッフを派遣するものです。
いずれのサービスも、店舗間の競争が厳しくなるなか、また商品もお店も溢れている現状において、ここ数年需要が急速に高まっています。現在メディアフラッグは12期目を迎えていますが、9期目の2012年9月に東証マザーズに上場をし、前期11期は売上69億円、営業利益3億4千万円となっております。
私は35歳で起業する前、セブン-イレブンの本部で10年近く勤務していました。私の流通業界での経験値を活かし、このビジネスを発想しましたが、私以外にも社員の半数以上が流通小売業界出身者ということで、「メディアフラッグは店頭現場を良く知っている会社だ」という評価を頂いているのが弊社の最大の強みです。
弊社は、35歳まで平凡な大企業サラリーマンだった私が、自己資金300万の資本金で2004年2月に設立した会社です。後に副社長で入社し、たった1年で去ってしまった友人や後輩にも声を掛け、さらに私も追加出資をし、5月には1000万円の資本金で事業のスタートを切りました。友人は軌道に乗るまでは後方支援という形をとり、後輩で今も役員として在籍している石田国広と2人でスタートをしました。
大企業のサラリーマンが、大した「信念」、「覚悟」、「志」も無く起業した会社です。そのため起業してから実質5年間赤字が続く会社でした。それでも増資や借入を重ねることで、お金を絶やすことなかったため倒産には至りませんでした。集めた資本金は約6億円、借入はピークで2億5千万円。まだ売上が10億円にも満たない状態です。もちろん累積損失も2億円以上の大赤字です。盛和塾に入塾させて頂いたのは2006年だったにも関わらず、当初2年間は学びが全く出来ておらず、2008年から本格的に学ばせて頂いております。その学びがなければ、私は単なる起業詐欺師と言われても仕方ないレベルの事業家であったのではないかと思います。
私は昭和43年5月27日に千葉県市川市に生まれました。高度経済成長期のど真ん中、私は千葉県の人口が300万人目ちょうどに生まれた赤ちゃんでした。出生届が県庁へ届いた順番だそうです。千葉県版の新聞に名前と写真入りで掲載され、当時の県知事がお祝いを持って来ました。子供ながらに感激しつつ、その様子を綴ったものが実家には飾られています。「あなたは生まれながらに幸運なのよ」というのが母の口癖で、幼いころから刷り込まれていると「最後は何とかなるのではないか」という思いが常にあったように思います。
父は私が生まれたころは高校の英語教師をしていましたが、その後中堅商社に勤め、私が小学校に入ると貿易業を始めました。しかしわずか3年ほどで会社を潰し、また元の商社に出戻りし、その後定年までその会社で勤めたサラリーマンでした。その頃母方の祖父は千葉県市川市で不動産業を営み、20名近い社員を抱え、宅地分譲なども当時はやっており、市川駅前に自社ビルを持ち羽振りが良かったものです。その祖父の支援もあってか、父の事業が失敗しても私は貧乏をした記憶はありません。贅沢出来る家庭ではありませんが、中級の暮らしをしていたと思います。その祖父の事業も私が成長するにつれ、どういうわけか縮小が続き、最後は学生相手の周旋業務のみを小さな事務所を1人で営んでいました。父も祖父も事業に大きく失敗したわけではないのですが、上手くはいかなかった。そういう家で育ちました。しかし今でも祖父の羽振りが良い時の様子が、私の幼い記憶に焼き付いています。たまに遊びにいくと気前よく大きな財布から小遣いをくれ、社長室で格好よく部下に指示をしているような祖父。「うちの爺ちゃんは凄いなぁ」、小学生だった私も将来ああやって人に指示命令するような人になりたい、社長になりたい、このような感情を持っていたように思います。